業=カルマ
2017年 07月 12日
ナチュラルヒーリングセラピストのゆうこです
日々、さまざまな気づきがあります。
覚醒って、ある日から急激に世界が変わって見えるとかそういうイメージを抱く方もいらっしゃるかもしれませんが、けっこう地味ですね(笑)。
こつこつこつこつ地道に。そして、気付くと以前より多くのものが見えている。視点が変わる(高くなるイメージ?)、視野が広がる、今まで信じていたものに疑いを抱く…など。
じつはきついことのほうが多いです。安定するまでは。変化することは大変ですからね。
見たくなかったと感じるものを見ることになるかもしれません。
幻想をさまよっていたほうがずいぶん楽かもしれませんが、もうあまり幻想を見せてもらえなくなる世界、真実を見なきゃいけない世界に入ってきている気もします。真実を見抜ける目を持つということが目覚めるということ。目覚め始めている人多いですね。
必要以上に周りに惑わされず、自分の道を行くのみですね。
真の意味で人を助けることなどできないと思うのです。自分軸をしっかり持たないと特に難しいです。
「本当は自分の中に力がある。」ということを思い出させてあげるのが真の助けなのかな?
もちろん現実的な部分で協力しあったり助け合ったりはいいことなのですが、魂レベルでは人は独りですからね。
業=カルマについて思うことがありました。
過去生で私は人の業を背負って亡くなったことがありました。その時の無念・絶望の気持ちがうっすらよみがえります。
よく子どもがその家系の業を解消していく役割がある場合が多いといいます。
そういった場合、ただひたすらけなげに耐えるのか?自己犠牲の精神でやっていくのか?何も反抗しないのか?
いろんなパターンがありますが、あまり美しくない形で出てしまう場合もあります。
「子どもがトラブルを起こす。争いになる。」というパターンです。それによって親が気づきを得て業=カルマを解消していくということです。
これは一見美しくないトラブル・争いに見えますが、大きな視点から見ると「美しく純粋な愛」なのですね。
残念ですが、ただひたすら優しく耐えて受け入れるだけでは、人に気づきを与えられない場合がほとんどです。ある種の衝撃を与えられないと人は気づけない変われないものなので
わかりやすい「愛」よりむしろこんな「愛」の形のほうが尊いのかもしれません。
ほめられることもなく、トラブルや争い本人もしんどい思いを抱えながら身を挺して「愛」を貫いて、表現しているのですね。
最近の子どもは親より進化した魂のことがほとんどですし。
親は今まで生きてきた世界での常識などで子どもを縛ろうとしますが、子どもの方がもっと多くのものを分かっているし魂のキャパが大きかったりします。
真の愛とは尊いです。表面的にわかりにくいぶんなおさら尊い。
もう時代の流れ的に人の業を背負うのは違うような気がします。
厳しさというのも本当は愛の場合もあり、業を肩代わりせず本人に戻すということが、背負うよりも尊い「愛」だと感じるようになりました。
以前は私も周りの業を引き受けてしまう魂の癖がありました。
でも今はやめました。私が変化することでトラブルもあり、様々なエネルギーをぶつけられて揺らいだこともありました。しかしそれは本当の愛ではないと悟ったのです。
厳しい形であったとしても、本人にその業を背負わせて本人に解消してもらうのが本当の愛だと分かりました。
人に業を背負わせるとそれがまた業になります。
しかし、自らがその業を解消していけば、魂の成長・進化につながります。
ここ数年の宇宙のスパルタ教育で、宇宙を恨んだこともありました。
「私はここまで望んでいない!」と思っていたのです。でも魂は了承していました。
そして徐々に宇宙から純粋で混じりけのない愛をもらっていることに気づくようになりました。
愛とは信頼ですね。その人が「大丈夫」だと信頼すること。ありのままの自由を許すこと。
優しさ・表面的な美しさ=真の愛ではないですね。
厳しさ・破壊的なことがエネルギーを読むと真の愛に感じられることがあります。深い経験をしていかないとたどり着けない境地ですね。
まだまだ真の愛には程遠い私ですが、日々の気づきの連続の中で進化していきたいと思います。
肉体が追い付いていかなくてきつい部分もあるのですが、やっと自分の魂が選んだことだと認められるようになりました。
このところシフトが激しすぎますからね。今年に入ってものすごいです体に気を付けて行きましょう~!
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by plumey
| 2017-07-12 09:41
| スピリチュアルジャーニー